2007.02.17

慈しみ

究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次の通りである。

能力があり、まっすぐに、正しく、言葉やさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならない。

足ることを知り、わずかな食物で暮らし、雑務は少なく。
生活は簡素であり、諸々の感覚器官が静まり、聡明で高ぶることなく、諸々の家で貪(むさぼ)ることがない。

他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

いかなる生物生類 ──怯えているものでも、強剛なものでも、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸せであれ。

何人も他人を欺いてはならない。たとえ何があろうとも他人を軽んじてはならない。相手を悩ませようと怒りの思いを抱いて、お互いに苦痛を与え合うことを望んではならない。あたかも母親が自らの独り子を命を張って守るように、一切の生きとし生けるものに対して無量の慈しみの心を起こすこと。

また、全世界に対して無量の慈しみの意識を起こすこと。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なく。立っていようと、歩いていようと、座っていようと、寝ころんでいようと、眠っていない限りは、この心遣いをしっかりと保ちなさい。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

諸々の邪(よこしま)な見解に惑わされずに戒めを保ち、観察眼を持って諸々の欲望への貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることはないでしょう。


「スッタニパータ」 より

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